プロローグ 自転車ほんとたのしい!

さて、今回は伝統的なロードレーサーの中で発売当初は異端扱いされるほど斬新なビゴーレのクロモリ製ロードレーサー(ロードバイク)、「クロモリ・レーサー」の生まれるまでを綴っていきたいが、そもそもロードレーサーの歴史は古く(1900年代のヨーロッパにまで遡る)、先代(二代目)の片岡保の頃にはすでに成熟したものとなっていた。故にそれをひも解くためには片岡の幼少時代にまでさかのぼる。

二代目片岡は、スポーツとしての自転車がまだまだ知られていない日本にその楽しさ素晴らしさを伝えるべく、本場ヨーロッパの自転車やパーツを取り扱っていたが、ヨーロッパ規格のもので日本人に合うものは殆ど無く、それならとオリジナルブランド「VIGORE」として日本の環境や日本人に合ったロードバイクづくりに励んでいた。故に現在の3代目片岡聖登は生まれた時から既にヨーロッパの息吹を日常の中に感じ、当たり前のように自転車に乗る事を楽しんでいた。そのころ様子が、片岡の実家にあった一冊のアルバムから垣間みることができる。
残っていたアルバムの最初の日付は1968年。三代目片岡はまだ小学生。”京都北山サイクルスポーツ少年団”を結成して、仲間といつも自転車でどこかへ出かけていた。当時は郊外に出ると舗装されている道はほとんど無く地道ばかり。それで乗っている自転車は皆ランドナーだった。現在ではランドナーとは、フランス発祥のツーリング自転車で現在ではスマートなイメージが強いが、この頃は未舗装路もガシガシ走れるマウンテンバイクのような存在。そんなランドナーで山道、雪道から獣道まで駆っていた。

「サイクルキャンプイング」(1968)

この時は、”京都ホイルマンクラブ”(大人のサイクリング倶楽部)と一緒に大悲山へ「サイクルキャンプイング」(1968)。自転車一杯キャンプ道具を積み込んで大自然へ(先導は二代目片岡)

「サイクルキャンプイング」(1968)
自転車が雪道で滑らぬようホイールに紐を巻き付ける

「雪の百井峠」と題されたページでは自転車が雪道で滑らぬようホイールに紐を巻き付ける風景も。自転車をスタイルではなくたのしみの道具としてフル活用していた。「良いものほど世界を広げてくれる!」

大悲山サイクルキャンプ
大悲山サイクルキャンプ

1969年の夏の大悲山サイクルキャンプ。当時のランドナー走行での一番の醍醐味は「下り」。地道は車が通った後の轍(わだち)があったがそこをいかに攻めるかが「ラリーっぽくてとても楽しかった」。下段の写真は、二代目片岡が”模範的”走り方を披露。

同じ年の貴船への日帰りサイクリング

同じ年の貴船への日帰りサイクリング

京都北山へむけてのツーリング風景

1971年。万博を過ぎた頃になると舗装路が徐々に増えてきた。これは京都北山へむけてのツーリング風景。

休みになると少年団の仲間と自転車で山道あぜ道へ。毎日自転車に乗って冒険の日々であった。当たり前のように良いもの(自転車)を遊び道具として使うことで、また、子どもだからこそ頭ではなく身体でその感覚を感じることで、自転車に乗ることが純粋にたのしめた。

少年時代のこの体験、そしてそこで生まれた自転車に対する(道具としての)感覚が、後の三代目の自転車づくりに大きく影響を及ぼすこととなる。