一台のBasic FR(ベーシック・エフアール)が京都本店に持ち込まれました。
事故で後輪はひしゃげて乗れない状態だったので直してほしいとのこと。だいぶ年季の入ったBasic FRで、持ち主に聞くと92年に購入したそうです。92年と言えばちょうどBasic FRの販売を始めた年、今から21年前の事です。

 

その当時、マウンテンバイクは既にサスペンション付きのものが主流を占めていましたが、サスペンションを取付ける事により重量は増し、また日本のフィールドでは有効的に機能するのはごく一部のロケーションであったため、ビゴーレではもっと軽快にロードの様に野山を走れるマウンテンバイクとしてクロモリのリジッド(サスペンションのついていない)バイクを国内レース実戦においても投入していました。それがBasic FRの原型です。

その頃は片岡が一台一台作るため供給数に限りがあり少数のライダーの体験でしかありませんでした。しかし、少しでも多くの人にこのたのしみを感じてもらうべく、片岡の制作フレームがほぼそのままの状態で生産できるように生み出されたのがBasic FRだったのです。その最初の販売が正に92年でした。

 

こうして21年を経た今まで現役で走り続けていた一台をこれからも走れるようにメンテナンスを始めました。

長い年月を経てそれなりの年季は入っているものの、フレームは基本的には何ら問題の無い状態。曲がったホイールを交換し変速レバーも調子が悪かったので新しいものへと交換、諸々消耗品も新しくして、当時の走りを蘇らえさせることが出来ました。

曲がっていたリムと記念撮影。

Basic FRもいつも設計を見直し常に深化しているため、92年モデルは少し現行モデルとは異なる面持ちです。当時は、フォークがタンゲ・リッチーロジック製(フレームもタンゲ製チューブを使用)でした。(現行モデルはこれを基にさらにビゴーレの乗り味を出すためのオリジナルチューブを使用)

また、ロード用のシートピンを用いたり(日本のようなフィールドのクロスカントリー用に開発していたのでさほどシートの上げ下げは無く、クイックレバーの必要性が低かった)、開発当初から必要以上にゴテゴテせず”Less is more“の精神にて設計していました。

ワイヤの取り回しも気を配り、フレーム剛性を下げない位置にワイヤ固定パーツを取付けたり、微細な事ですが実戦でも十分に戦えるもとのとしてこれまでの経験をふんだんに盛込むべく日夜問わず設計していた事を思い出したと片岡。

ヘッドマークやビゴーレロゴも現状とはちょっと異なっています。

これまで一本ずつ自身で作っていたものを工場で作る為にそれぞれがどのように実現出来るか苦心した結果、オリジナルと同等のものを生産出来るようになり、その性能の証として初期のモデルには”Made by Kataoka”のサインがフレームに記されてます。

 

こうして仕上がったBasic FRを元のオーナーに返すのですが、実はこの自転車はお母さんが当時乗っていたものを息子さんが引き続き乗り継いでいくことになりました。
引き取りに来られたとき、外は雪が吹雪いていたため室内でまずは一緒に最終点検。一般的には新しい自転車が欲しいものですが、どうもこの 自転車を気に入ってくれたようです。そのハンドルを握る手はすぐにでも乗りたそうでした。

 

こうして、お母さんの青春時代を一緒に駆け抜けた一台のビゴーレが、また新しい青春と共に新しい人生を踏み出す一日となりました。

 

モノの消費サイクルがだんだん短くなってきているこの時代ではありますが、乗れなくなったら使い捨てるのではなく、直してでも乗りたいと思ってもらえる自転車であるためにも、自転車そのものがその事に応えられるように一台一台がんばって作っています。ベーシック・エフアール、ビゴーレがいっぱい詰まった一台だからこそ、これからも乗り続け、乗り継いでもらい、作り続けていきます。